闘病クエスト1

白血病

白血病

急性骨髄性白血病発症

2016年の夏頃、僕は中学2年生でソフトテニスの部活に熱中していた。ある日39.0℃台の熱が出たが1日経つと下がっていたため病院には行かなかった。

しかし、次第に部活をしていく中で友人と近くのテニスコートに行ったり友人の家に遊びに行ったりするような普段あたりまえに出来ていたことをしていくのも次第に疲れやすくなっていて出来なくなっていた。僕の部屋は2階にあり、朝起きると階段を降りてソファでぐでーっと横になってから学校に向かう日々が続いた。

それから頭痛がし始めて、なったことはなかったが時期も時期だったため熱中症だと思っていた。ただ、唇が白いと友人に指摘されこの頃から異変に気づき始めた。それに加え足に青アザがいくつもできていた。少しぶつけただけなのにすぐに青アザが出てくるようになった。友人に病院に行くことを勧められて病院で診てもらうことにした。この時、大会の前日で頭痛が酷かったので個人病院の脳外科に行くことにした。採血をして診察をしてもらった。A先生に唇が白いことを伝えると

A先生「それは白血病の症状だね」

A先生「氷をばくばく食べたりしてない?」

と聞かれその頃は猛暑だったので毎日氷を食べていた。

僕「はい、食べてます」と答えると

A先生「やっぱり、それ白血病の症状だよ」

と言われ白血病って?と思いながらもまあ大丈夫だろうと軽く考えて検査結果が出たらまた連絡すると言われ診察は終わった。そして大会当日、学校から会場に向かうのだが、途中で疲れてしまいハアハア息切れしながら自転車のペダルをゆっくりこいで何とか着いたが遅刻してしまった。やっぱり何かおかしいと感じた。その状態で準備運動をしようとコートに行くと顧問に呼ばれた。何かと思って顧問のもとへ向かうと携帯を渡され、それは母からだった。聞けば今すぐ近くの大学病院へ向かうとのことだった。大会の最中で病院に行かなきゃいけないだなんて異常だと思った。僕はユニフォームを着たまま自転車を会場に置いてそのまま病院へと向かった。そんなに悪い何かが見つかったのかと病院に向かっている途中で母に聞くと

母「白血病の疑いがあるって」

と返事が返ってきた。その時僕は白血病の疑いが強くなってきて不安で仕方なかった。とっさに

僕「それって死んじゃう病気なの?」

と半泣きで聞いた覚えがある。病院へ着いて小児科外来へ行くと緊急入院になり、即入院となった。

ユニフォームを着たまま入院する人は珍しいらしく看護師さんの中ではユニフォームのイメージが強かったらしい。当時いた看護師さんには未だにそのことを言われる。

病棟に着くと早速採血をされた。貧血気味らしく十数回かは失敗されたが何とか血液を採取することができた。

それから何時間かして採血の結果が出た。ヘモグロビンの値が異常に低く数値が7ぐらいしかなく、主治医の先生にはいつ倒れてもおかしくない状態で

主治医「よくこれで部活やってたね」

と驚かれた。それに加えて、白血病細胞の数値も高かった。

そして、初めての骨髄穿刺 検査(マルク)をした。骨髄に鉛筆くらいの太い針を刺して骨髄液を採取したのだがこれがまた痛い。引っ張られるような痛みだと聞いていたが、これまでに味わったことのない何とも言えない痛みだった。

マルクの結果が分かるまでは数日から1週間ぐらいは掛かる。その結果が出て僕は、正式に「急性骨髄性白血病」と診断された。最初はやはり、お決まりのなんで僕が病気にならなければいけないの?と思い、今まで自分が何か悪いことをしてきたから白血病になったんじゃないかと今まで自分が行ってきた悪いことって何だっけ?と思い返すようになった。そして、先の見えない治療が始まるのかという恐怖でいっぱいだった。

僕の場合の前兆
  • 39.0°台の熱
  • 疲れやすさ
  • 倦怠感
  • 頭痛
  • 唇の白さ
  • 青アザ

僕は悔やんだ。もっと早く病院へ行っていればこんなにひどくならないですんだのかもしれないと。しかし、B先生は

B先生「早く来たから大丈夫とかそういうことじゃないから、あまり自分を責めないで」

と励ましてくれた。

白血病になる前は毎日ハードな生活を送っていて、朝早くテニスコートで練習して学校の部活が終わって家に帰ってくると近くの中学校のテニスコートを借りて更に練習し、その後塾に行くというとんでもないスケジュールをこなしていた。

さらに学校では担任の先生によく怒られ、家に帰ってくると父に叱られ、僕も反抗期だったのでストレスが溜まりに溜まっていたのも白血病になってしまった理由のひとつなのかなと思った。この時、ストレスって身体に良くないんだなと実感した。

この時はまだ、これから始まる地獄のような治療を体験することになるとは思ってもいないのであった。

CVポート

その後、抗癌劑治療が始まるのだが、その前にCVポートを入れた。普通の点滴で抗癌剤を入れるとすぐに血管が駄目になってしまうから太い血管にわざと繋いでそこから抗癌剤を入れるのだ。これを入れるのが初めての外科手術で不安だった。ただ部屋に小学生くらいの男の子が入っているCVポートを見せてくれた。お父さんと一緒にわざわざ病室まで来てくれたのが印象的で何だか勇気をもらった。

それから手術までの時間に病棟の保育士さんが不安や緊張を和らげるためにスライムを一緒に作ってくれてリラックスすることができたので、保育士さんってすごいなぁとその時感じた。

その後、ついに名前を呼ばれてCVポートを入れる手術室に向かった。全身麻酔をかけて行うのだが、外科医の先生が一般の大人の方を専門としている方だったらしく先生方が僕を乗せたベッドを病棟に向かっている間にエレベーターを待っている時に

C先生「○○君の時とは??が違ったなぁ」

と話しているのが眠っている時に聞こえた。

目が覚めると病室にいた。全身麻酔特有の気持ち悪さとCVポートを入れたところがすごく痛かった。CVポートに関してはこれからの長い治療中に何回か感染を繰り返したりして計3、4回はこの手術を経験した。そして、抗癌剤治療が始まるのだった。

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